3階は哲学者

石川啄木ファンのブログです

啄木を歩く/館山編

石川啄木の足跡を巡る旅/館山編」

啄木が結核で亡くなったとき節子夫人は妊娠中でした。しかも彼女も結核を患っており、長女と2人で困窮していました。

それを見かねた宣教師のコルバン夫妻が千葉県館山市に来るように勧め、身重の夫人と長女の2人で館山にやって来ました。

今回は、館山における節子夫人の足跡を辿ります。

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ただし、やみくもに行っても分からないので、あらかじめNPO法人安房文化遺産フォーラムに連絡して、場所を聞いておきました。ここに御礼申し上げます。


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節子夫人が療養していた片山家の離れ跡。

節子夫人はコルバンが開いた結核療養施設(通称コルバンホーム)の近所にある片山家の離れで療養することになりました。

そこで次女が誕生しました。房総で生まれたので名前も房江と名付けられました。その離れのあった所が写真の荒れ地です。


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片山家の近所の松林。

長女の京子ちゃんは、松林を抜けて、よく海に遊びに行ったらしい。その松林。


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京子ちゃんが遊びに行った八幡海岸。

別称「鏡ヶ浦」ともいうように波穏やかで、まるで鏡のようらしい。
片山カノの孫、成瀬政男氏が連れて行った、と後々語ったそうです。


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鶴谷八幡宮

次女の房江ちゃんが生まれたので、片山カノがお宮参りに連れて行ったという。
安房国総社の立派な神社です。特に拝殿向拝の彫り物は見事の一言!

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さて残念ながらコルバン夫妻は軽井沢に行く事になり、夫人一家は館山から退去せざるを得なくなりました。

やむを得ず、病気の体をおして函館に向かったのです。その翌年、夫人は亡くなりました。わずか28歳でした。

なお、長女も結核で24歳で死去。次女も結核で19歳で死去。啄木を含め、ことごとく結核でやられた一家でした。

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コルバン夫妻について】

コルバン夫妻は、明治時代に来日し、函館や館山などで、キリスト教の伝道や地域医療の普及に力を尽くしました。

啄木一家の晩年を語るとき、避けて通れない人物です。そこで、その足跡を少しだけ追ってみたいと思います。

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函館のコルバン病院の跡地(2019年11月函館旅行の際撮影)

コルバン夫妻が来日して、まず赴任した先は函館市。そこでキリスト教布教のかたわら、結核療養施設を作り地域医療に力を尽くしました。

その結核療養施設(通称コルバン病院)の跡地がここ。啄木が函館にいた頃もあったので、見かけた事くらいはあったのではないでしょうか。

なお現在は函館大火の慰霊堂が建っています。


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館山の聖アンデレ教会。

函館から館山に移ったコルバン夫妻は、一旦英国に帰った後、最終的に館山に根を下ろす事になり、キリスト教伝道の拠点を作りました。

それが聖アンデレ教会。ただ今回行ってみたら、建て替えられたようで、建物は新しくなっていました。しかも閉まっていたので外観のみ撮影。


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軽井沢の日本聖公会アレキサンダーショー記念礼拝堂(2019年5月軽井沢旅行の際撮影)

啄木の評伝を読むと、必ず「コルバン夫妻は軽井沢に行く事になったので、節子夫人は館山にいられなくなった」と書かれています。

しかし軽井沢のどこに行ったのかよく分からない。とりあえず軽井沢で聖公会といえばこの教会なので、軽井沢に行った際、撮っておきました。

明治28年に建てられた日本聖公会の教会です。室内は撮影禁止なので撮りませんでしたが、トラス構造が見事で、見応えがありました。


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軽井沢のサナトリウム跡地(2019年5月軽井沢旅行の際撮影)

軽井沢でも結核療養に関わっていたとすれば、この地にも必ずいたと思うのですが、どうだったのでしょうか。

色々な文学の舞台にもなった軽井沢のサナトリウム。その跡地は今、万平ホテルの従業員駐車場になっています。


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南房総市南三原聖ルカ教会。

軽井沢の詳細はよく分かっていませんが、ともあれコルバン夫妻は館山に戻ってきます。

そして、ご主人を亡くした後もコルバン夫人はそのまま館山に残り、地域活動に奉仕します。

晩年は南房総市に移り、地域住民からコルバン先生と呼ばれて、親しまれていたそうです。

写真は晩年を過ごした教会。後に再建されたものですが、質素な建物で、人柄が感じられます。


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館山のミセス・コルバンのお墓。

館山城山麓の山の中にキリスト者共同墓地はあります。
誰も行かないような、ひっそりとした山道を入った所。
そこに、コルバン夫人は慎ましやかに眠っています。