3階は哲学者

石川啄木ファンのブログです

啄木を歩く/函館編(その2)

石川啄木の足跡を巡る旅/函館編」(その2/その1〜その4)
※2日目の前半です

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2日目の朝がやって来ました。今日も曇り空。早速ホテルを出発します。
なお、このホテルの建っている場所はかつて並木翡翠の居宅跡でした。(翡翠は啄木と特に親しかった4人の内の1人。その後、東京でも親しい関係は続きます)

 

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2日目のスタートは東浜桟橋跡から。啄木が来るというので、苜蓿社の主要メンバーで待っていた桟橋です。ところが啄木は鉄道桟橋の方に着いていたのでした。
なお、2ヶ月後に節子夫人が着いたのは正真正銘この桟橋です。

 

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函館日日新聞の跡地。啄木が遊軍記者として働いていた所でした。

 

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続いて函館市交流センターへ。大正12年、丸井デパートとして建てられたという歴史的建造物です。
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ここでも係員に、啄木の"最初の墓”の場所を尋ねたのですが、そもそも"最初の墓”の存在自体を知らないようでした。そこで昨日の函館文学館での話をしたところ、それなら絶対ムリだろう、とのこと。返す返す残念!(この話はさらにまた後から出てきます)
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ここでレンタサイクルを借りる予定でしたが雪で危険だからと、借りられませんでした。仕方ないので今日は一日全て徒歩にします。

 

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という訳で歩いて宝来町の入村質店跡へ。節子夫人が質入れのため何度も来させられたという質屋さんです。ここも歴史的建造物。

 

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雪道を歩いて青柳町に到着しました。啄木にとって "青春の” 青柳町です。(これは青柳坂を上から見たところ)

 

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まずは露探小路へ。この奥に苜蓿舎がありました。

 

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露探小路の突き当たり。苜蓿舎の跡地です。つまり松岡路堂が住んでいた所であり、石川啄木が二ヶ月間も住んでいた所です。まさに今回のハイライトの一つ。

 

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堀合忠操の叔父、村上祐兵の居宅跡です。今は別の方の居宅ですが、古い石垣はもしかしたら当事のものじゃないでしょうか?

 

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石川啄木の居宅跡に到着しました。

 

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この路地の奥に居宅がありました。

 

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居宅跡は今、廃屋が建っています。でも当時の家もこんな感じだったんじゃないでしょうか。とにかくここで、若き石川啄木&節子一家が青春を過ごしました。間違いなく今回のハイライトの一つです。

 

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石川啄木の居宅跡を反対側から。

 

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吉野白村の居宅跡。ここもハイライトの一つ。

 

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岩崎白鯨の居宅跡。ここもハイライトの一つ。

 

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一旦、函館公園に入ります。雪で真っ白!

 

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函館公園の啄木歌碑。
  函館の青柳町こそかなしけれ。
  友の恋歌 矢車の花。
という有名な歌が刻まれています。ここ函館公園にあるのが一番相応しい。

 

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函館公園から大森浜へ降りていく途中に新善光寺がありました。苜蓿舎の企画で、啄木が乞食を探しに行ったのですが、結局、見つけられなかった所です。

 

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そのまま大森浜へ降りていくとここに出ます。弥生小学校の同僚、高橋すゑの下宿跡がこの辺りにあったんじゃないかと推定されます。啄木が函館を出る最後の晩に訪ねました。

 

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啄木が好んで散歩した大森浜。特に後半は、ほぼ毎日散歩していました。今回のハイライトの一つ。

 

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啄木はここで初めて海水浴をしました。函館唯一の海水浴場があったからです。ここに見える岩の列は、その当時の名残じゃないでしょうか?

 

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函館公園に戻ってきました。啄木はほぼ毎日のように苜蓿舎メンバーとここを散歩しました。そのまま勝田温泉に行ったり、谷地頭に行ったりと。今回のハイライトの一つです。

 

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函館公園は紅葉が綺麗でした。

 

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函館公園内にある旧函館図書館。岡田健蔵が命がけで啄木日記を守った所であり、さらに啄木の遺骨がしばらく置かれていた場所でもあります。

 

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函館公園を抜けて谷地頭方向へ向かいます。啄木はこの道を歩いたはず。勝田温泉に行った時や、碧血碑に行った時などに。

 

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勝田温泉跡。啄木は温泉好きの白村に連れられてここを訪ねました。

 

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弥生小学校の同僚、橘智恵子の下宿跡。啄木は函館最後の夜にここを訪ねました。

 

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八幡神社の奥に、啄木が訪ねた碧血碑があるのですが、以前訪ねた事があるので今回はパス。そのまま立待岬へ向かいます。

 

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立待岬入口の地蔵堂。毎年、石川啄木の供養祭が行われます。位牌もあるらしい。

 

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何と立待岬は冬季の進入禁止になっていました。歩いて入っていきましょう!

 

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石川啄木一族の墓。既に何度か来たことがあります。先に言ったようにここは2度目の

お墓で、最初のお墓は別の場所にあります。

 

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石川啄木一族の墓から見える風景は本当に素晴らしい。啄木の好んだ大森浜を一望し、さらに仲間の住んでいた青柳町から遺骨の置かれた函館公園まで、全てが見渡せます。この景色もハイライトの一つ。

 

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悩みましたが"啄木の最初の墓“を探すことにします。次はいつ来れるか分かりません。手がかりは節子夫人の実家 堀合家が墓を買ったということ。それなら"堀合家の墓”と墓石に書いてあるのではないでしょうか。
そう信じて雪の墓場を濡れながら歩きます。ズボッズボッと雪に埋れながら!上から順番に降りながら、墓石の家名をしらみつぶしにチェックしていきます。そうすること何十分、ついに見つけました!

 

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石川啄木の最初のお墓!古い標識柱もかろうじて残ってました。ここに間違いありません。もう執念と言って良いかもしれませんね。嬉しくて感無量です。このお墓探しは間違いなく、今回の函館旅行の最高最大のハイライトでしょう!本当によく見つけました!
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ところで、このお墓には"堀合登喜子の墓”と書いてあります。節子夫人の母親でしょう。当事のお墓が、そのまま残されてる訳ですね。

 

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宮崎郁雨の墓。石川啄木の墓のすぐ近くに建っています。いうまでもなく啄木の一番の親友であり、大きな影響を与えた人物です。

 

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立待岬の先端近くにある与謝野寛・晶子夫妻の歌碑、ここには宮崎郁雨と岡田健蔵のことが歌われています。

 

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立待岬を遠望します。ここも何度か来た事があります。さてここから引き返しましょう。
(その3へ続く)