啄木を歩く/函館編(その3)
「石川啄木の足跡を巡る旅/函館編」(その3/その1〜その4)
※2日目の後半です
立待岬に名残を惜しみつつ谷地頭へ戻りましょう。
谷地頭にあった浮世床という床屋の跡地。啄木が函館最後に散髪をしたところです。
谷地頭にあった堀合忠操の実姉、一方井なか子の居宅跡。
函館公園前の通りまで戻ってきました。"節子夫人最後の家“の通りです。
節子夫人の最後の家の跡地。京子、房江姉妹と3人で寂しく過ごしたと伝えられています。悲しい場所ですが、ここもハイライトの一つ。
節子夫人最後の家の前にある函館公園の入り口(通称"図書館口”)。ここから京子ちゃんは公園へ入っていって一人遊びをしていたのでしょう。
函館公園にあるひょうたん池。京子ちゃんはここに落ちて助けられたらしい。
石川啄木とは関係ありませんが・・・
函館公園の裏側にある喫茶「想苑」に入ってみました。ジャスが流れる昔ながらの純喫茶です。創業60年。本当にのんびりくつろげました。啄木ファンなら気に入ってくれるでしょう。間違いなく今回のハイライトの一つ。
函館公園を抜けるとすぐに函館税務署跡地。啄木はここに詰めて働いていました。
そのまま進むと護国神社。啄木は白村に連れられて、祭礼にやって来ました。
ロープウェイの通りを進んでいくとチャチャ登りに出ます。
チャチャ登りの上に大島流人の居宅跡。(流人は後々東京でも啄木に関わります)
船魂神社。ここの裏手にあった臥龍窟に万平が住んでいました。啄木はわざわざ会いに行っています。
函館商議所があった所であり、商議所が移った後は、樺太漁業組合の事務所になった所でもあります。
商議所時代は石川啄木が働いてました。また樺太漁業組合時代は堀合忠操氏が就職し、一家で引越してきた所です。
さらには節子夫人が人生の最後に望みをつないで、移ってきた所です。
おまけでいうと節子亡き後、京子・房江姉妹は、忠操氏にここで育てられ、無事女子高まで行くことができました。ここも大きなハイライト!
樺太漁業組合の向かい側にあったという北海タイムス函館支社の跡地です。そこで働いていた須美正雄に京子ちゃんが一目惚れしてアタックしたのです。
弥生小学校。啄木ファン必見の地です。啄木が代用教員として働いていた所で、ここで橘智恵子に出会いました。
さらに、京子ちゃんと房江ちゃん姉妹が通っていた学校でもあります。
小林写真館。石川啄木が苜蓿舎の面々と一緒に写っている写真や節子晩年の写真などは全てここで撮られました。建物は変わりましたが、今も現役の写真館として営業中です。
そのまま帆影町へ。啄木はこのあたりで広告貼りをしたのでしょう。函館大火のあと、高橋すゑと森山けんと一緒に。
床屋さんが港で散髪をしていたので驚いたというのは、この辺りではないでしょうか。大火後の広告貼りの時の話です。
イカ釣り船が間近に見えたので撮りました。漁り火のランプが珍しい。
歩いてホテルまで帰ってきました。さすがに疲れたね。とりあえず今日の啄木探訪は終了。
あとは辻仁成絶賛のお店に行って函館の夜を堪能しましょう(笑)
歩いてやって来たのは小池カレー。辻仁成絶賛のカレー屋さんです。一番人気という「焼きチーズチキンカレー」を頂きました。
続いてやって来たのは「バーHANABI」。築100年の蔵をリノベーションして造られたという隠れ家的バーです。セルフビルドが良い感じでとてもお洒落。マスターも気さくで話しが弾みました。こんな風に2日目の夜は過ぎていきます。
(その4へ続く)