啄木を歩く/函館編(その4)
「石川啄木の足跡を巡る旅/函館編」(その4/その1〜その4)
※3日目(最終日)
3日目スタート!もはや最終日です。早速ホテルをチェックアウトして函館駅に向かいます。
函館駅前でレンタサイクルを借りました。今日は半日しかなく、しかも移動が長いので・・・。それにしても看板がデカイ・・・
旧ボーニモリヤ跡のこの辺りが旧広島屋旅館だったはず。連絡船で函館に着いた啄木が最初に休んだ所です。
函館駅前から大門を抜けて海へ向かうと正面に大森稲荷。大森遊郭の守護神です。この裏が大森浜なので行ってみましょう。
大森浜。この先に戦後まで巨大な砂山が残っていました(今はありません)。研究者の中には、啄木の歌に出てくる砂山をそことしている方もいますが、竹原三哉のいうように、青柳町からは遠過ぎるので、そこではなく、もっと手前にあったミニ砂山だろうというのが妥当でしょうね。ただ啄木の意識には入っていて、それを想像の産物として結びつけたのではないでしょうか。そういう意味では重要ですね。
コルバン病院の跡地。伝道師のコルバン夫妻が結核療養のために開いた施設です。コルバン夫妻は後ほど、房総にて節子夫人の面倒を見ることになります。
海側の旧市電通りを旭町の方向へ進みます。かつて市電が通っていたので本当に広い。この道を節子夫人や郁雨氏などは何度も歩いた事と思われます。
宮崎郁雨の居宅跡。宮崎家は味噌製造業を営んでいたそうですが、その面影は一切ありません。今回のハイライトの一つ。
節子夫人の居宅跡。釧路を出た啄木は単身東京へ向かい、その後しばらく節子夫人やカツ、京子はここに置いておかれました。今回のハイライトの一つです。
節子夫人宅の裏手に広がる大森浜。郁雨に連れられて夫人は何度も散歩したそうです。どれほど癒されたでしょうか。節子夫人にとって唯一の癒しの場所だったと思います。ここもハイライトの一つ。
東川小学校の跡地。吉村白村が働いていました。白村の夜勤の際は啄木達も押しかけ、徹夜で朝まで語り合ったそうです。みんな若かった!青春だった!
宝小学校の跡地。節子夫人が代用教員として働いていた学校です。毎日とても忙しく夜まで働いたと記録が残っていす。それが嫁姑の争いを読んだ一因でした。
ついにここに来てしまいました。節子夫人の亡くなった豊川病院の跡地です。大正2年5月5日、結核でした。哀れみを禁じえません。今回の最後のハイライト。
一番最後に第一歩の地なんて、何だか変ですが、それも啄木らしいかな。鉄道桟橋の跡地です。啄木はここに函館の第一歩を記しました。※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※
これで石川啄木探訪記は終わります。後はレンタサイクルを返して、ちょっと函館駅周辺を観光?します。
函館朝市をうろうろ。家族に土産物を買います。店員さんとの会話も楽しい。
朝市には「うにむらかみ」というウニ料理店があります。もしかしたらこのお店は堀合忠操の叔父、村上祐兵が創業した村上水産じゃないかと思うのですがどうでしょう?
最終日のお昼は辻仁成 絶賛の茶夢にて海鮮丼とイカ刺しをいただきます。凄い量!しかも美味しい!
函館駅前にて。今からリムジンバスに乗って函館空港へ向かいます。
函館空港にて。さぁ、ついに函館を出発します。とても充実した啄木探訪旅行でした。啄木ファンのご参考になれば幸いです。ありがとうございました!
(完)